日本の建設史に残る、
電源開発の物語
秘境と呼ばれた厳しい自然が人々の行く手を阻んできた黒部川。大正6(1917)年に初めて電源開発に向けた調査が始まった。その後、幾多の難局を乗り越え、日本の建設史に残る偉業により、工事用軌道のルートが完成。黒部川水力発電所が次々と建設された。このルートは、日本の発展と電源開発のために全てを懸けた人々の歴史を今に伝える。
世紀の大事業とよばれた「くろよん」完成からおよそ60年。
黒部奥山の地底に存在する、日本経済を支えた
電源施設群が、一般開放される。
立山黒部アルペンルートと黒部峡谷鉄道がつながるとき、
立山黒部をめぐる新たな旅の物語が幕を開ける。
人跡未踏の黒部峡谷の奥地。
その美しく雄大な大自然を守るため、地底につくられた多様な電源施設や設備。
当時の人類の英知を結集した電源開発の軌跡が目の前に迫る。
※黒部宇奈月キャニオンルート黒部ダムと黒部峡谷の欅平を結ぶルートで黒四発電所の建設などに伴い、日本電力㈱や関西電力㈱が工事用ルートとして整備したもの。2018年に関西電力㈱と富山県が締結した協定により、安全対策工事完了後に一般開放・旅行商品化を予定している。
秘境と呼ばれた厳しい自然が人々の行く手を阻んできた黒部川。大正6(1917)年に初めて電源開発に向けた調査が始まった。その後、幾多の難局を乗り越え、日本の建設史に残る偉業により、工事用軌道のルートが完成。黒部川水力発電所が次々と建設された。このルートは、日本の発展と電源開発のために全てを懸けた人々の歴史を今に伝える。
建設中の黒部川第三発電所。昭和15(1940)年発電開始。
(提供:関西電力)
Vol.1
200mの標高差を一気に昇降。山の中腹を垂直に貫く巨大なエレベーターは、急峻な地形のため、鉄道を延ばすことができなかったことから、昭和14(1939)年に設置され、建設当時その標高差は日本一を誇った。
Vol.2
蓄電池機関車で通過する「高熱隧道」は、掘削時、岩盤の温度が160℃を超え、ダイナマイトの自然発火等があり、工事は難航した。現在も約40℃あり、列車内からも硫黄臭や熱気が感じられる。
Vol.3
高熱隧道を抜けて、トンネルの外の仙人谷へ。標高859mの鉄橋からは、手前に仙人谷ダム、背後に山々と落差165mの雲切の滝を望む。
Vol.4
昭和34(1959)年完成。黒四発電所建設に必要な資材、機材を輸送するために建設され、長さ815m、斜度34°の急傾斜を、20分かけて昇降。この建設工事は、急傾斜の長大な斜坑を掘削するという点で、世界にも例のないものであった。
※現在準備中です。
【重要なお知らせ】一般開放・旅行商品化開始日の令和7年以降への延期について
黒部宇奈月キャニオンルートについては、黒部峡谷鉄道の全線開通にあわせ、10月1日頃に開始することとしていたところです。
しかしながら、令和6年能登半島地震で被害を受けた黒部峡谷鉄道の復旧工事が当初の見込み以上に時間を要し、令和6年シーズンは黒部峡谷鉄道の全線開通ができないこととなったことから、黒部宇奈月キャニオンルートは令和6年中には開始できないこととなりました。
一般開放・旅行商品化の開始をお待ちいただいていた皆様には度重なる延期となり、大変申し訳ございません。ご理解賜りますようお願い申しあげます。
詳細はこちらをご覧ください